習い事は「やりたい」と言い出すまで待つ。子供のやりたいことを。

まず、私自身の経験から。

小学生の頃、ピアノ、習字、そろばんを習っていました。
うち、ピアノは、自宅にあり、姉が習っていたので、自然に始めました(5歳の頃)。
習字、そろばんは、全く好きでもなかったのですが、「習うのが当たり前」という両親の言葉で始めました。

ピアノはそれなりに楽しく、難しい曲が弾けるようになったときは弾きながら聴いていて心地よかった。
それでも、レッスンに行きたくない日があり、母が休ませてくれないので、怪我もしていないのに指に包帯をして何とか休んだ記憶もあります。

そして、そろばん、習字は、どうにも続けられなかった。
やめたいと言うと両親に「他の子は習いたくても習わせてもらえないのに、なんでお前はやめたいと思うのか」と問い詰められ、答えられなかった苦い記憶があります。

大人になってみると、そのとき私が口にすべきだったのは、「したくないから。」だったと思うのですが、その自分の気持ちに気づけないほど、押さえつけられて育っていたのだと、思います。

そのことを実感をもって認識したのは、精神を病んで数年にわたりカウンセリングを受けてからのことです。

こうした経験から、自身が親になったとき、「子どもに、生きている以上のことを求めてはいけない」「やりたくないことを押し付けない」と心に決めていました。

なので「生まれて来てくれてありがとう~」とひたすら抱きしめて育てました。

とはいえ、ふと気を抜くと、親がしたと同じように、自分の虚栄心で子どもを他の子どもと比べたり、「もっとできてほしい」と強く思ったり、ささいなことで叱ったりしがちにもなるときがありました。

それを、何度も修正しつつ、紆余曲折ありながらの子育てでした。

そんな中、子どもが、小学生になる頃、「友だちが空手を習うので自分もしてみたい。」と言ってきました。

それには快諾、幸い近所の道場で、送迎もいらず(帰りが暗くなる頃は歩いて迎えに行きました)、週に一度のペースでした。正座する機会も少なくなった中、きちんと座り、あいさつから始まる空手「道」なので、スポーツとして体を鍛えるのみならず、礼儀も教えていただけたと思います。

高校進学を機に時間の都合がつかず、通うのをやめましたが、息子にとっては今でも信頼を置く先生で、嬉しいニュースがあるときなど、道場に行って報告しているようです。

先生には本当に感謝しています。

息子が自分で決めた習い事、やめるのも彼の意志で、と思っていましたが、迷いなく続けたのも内心嬉しかったです。

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